カンニング竹山の相方との関係についてのいい話とは
バラエティー番組などで見かけない事がないほど、幅広い年齢層から人気を集めているカンニング竹山さん。
元々はキレ芸といった、突然キレ出す芸風でブレイクしたお笑い芸人でしたが、最近では理路整然とした口調でもお馴染みであり、活動の場をバラエティー番組を始め、テレビドラマ、そして情報番組のコメンテーターまでと幅広く活躍しています。
しかしそんなカンニング竹山さんが、実は元々はコンビで活動していた事を知らない、もしくは忘れていたといった方も多いのではないでしょうか。
そこでカンニング竹山さんの経歴、そしてコンビの相方であった中島忠幸さんとの関係についてのいい話について解説していきます。
カンニング竹山さんの本名は竹山隆範、1971年4月2日に福岡県福岡市にて生まれました。
実家は父親が福岡県にていくつかの事業を手掛けていた事もあってか、とても裕福な家庭で育ちました。
当時の逸話として、幼稚園への送り迎えは、運転手付きのベンツにて行われており、更には自宅には高価な装飾品が並んでいたといいます。
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カンニング竹山さんに13億の借金が残されましたが……
そして当時バイオリンを習っていた竹山さんは、成長につれ使用していたバイオリンのサイズが自身の体格に合わなくなった事を親に告げると、すぐに新しいものを買い与えて貰えたのだと話しています。
これらの逸話だけでも、当時は金銭的に余裕のある環境で育てられたのだという事が伺い知れます。
しかしその後、父親が経営していた会社が倒産した事で生活は一転し、借金取りに追われる様になりました。
その後、父親は脳出血で他界し、竹山さんには実に13億にも及ぶ借金が残されましたが、相続放棄といった形をとり、その相続を免れました。
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そんなアップダウンの激しい環境下で成長した竹山さんですが、高校卒業後に上京し、浪人生として都内の予備校に通っていたところ、同じく浪人生だった同級生とター坊ケン坊を結成、お笑い芸人としてスタートを切りますが、ほどなくしてコンビは解散。
その後、偶然遭遇した同級生の中島忠幸さんとカンニングを結成し、その後のブレイクへと繋がります。
相方中島さんが白血病で他界。それゆえカンニングを名乗る竹山
順風満帆に見えたコンビとしての活動でしたが、2004年に中島さんが白血病を患い入院、竹山さんはピン芸人として活動を開始しながらも中島さんの復帰を待っていました。
そして中島さんが闘病により活動を休止中も、竹山さんが稼いだギャラの半分を中島さんに渡していたといいます。
後に、竹山さんはこれはあくまでカンニングとして頂いたギャラだから、ギャラを等分にするのは当然だと語っていました。
しかし2006年、中島さんは他界されてしまいますが、それでも竹山さんは自身をカンニングの竹山であると現在まで名乗っています。
これらのエピソードから竹山さんの優しい人柄が垣間見られます。
そんな竹山さんの今後のますますの活躍に期待がかかります。